クズ Pueraria lobata

クズ Pueraria lobataマメ科 クズ属)
つる性多年草
花期:7−9月

 日本各地の山や野原の特に傾斜面に普通に見られるつる状の多年草で、全株に粗毛があり、茎を長く伸ばして他の物に絡み付きます。巻き付かれた木がそのまま大きく育つと、渦巻状のコブができ、そのような木を時々見かけます。
 クズの生育は非常に旺盛で、辺り一面をたちまち葉で覆ってしまいます。下草は日の光を断たれ生育が阻止されます。クズは光と土地の養分を自分の物にしてさらに領域を広めます。それで、クズの有る場所は簡単に見つかります。
 放射状の葉腋から15〜18cmの花茎を直立に伸ばし、マメ科特有の形の花を多数密に咲かせ、香ぐわしい芳香を放ちます。紅紫色の花が藤の花によく似ていることから、私たちの地方では葛藤(クズフジ)と呼んでいます。

 クズは中国はもちろん日本でも古くから使われてきた漢方薬で、よく知られている葛根湯(カッコントウ)です。これは、根の皮を剥いで適当に切って乾燥したもので、漢方では発汗、解熱、緩和薬に、普段健康な人の頭痛や肩こりを伴う感冒に卓効があり、乾性の皮膚病、小児はしか、神経痛、結膜炎、大腸カタル、蕁麻疹などに用いられると薬事書に揚げられています。ただし、胃の弱い虚弱体質の人には用いない方が無難とされます。

 肥大した根に含まれるデンプンを取り出して乾燥させたものを”葛澱粉 (クズデンプン)”と呼び、生薬として滋養剤や結合および崩壊がよいことから、各種の錠剤賦形薬として使われます。
 デンプンは生薬のほか、一般には、葛粉(クズコ)として和菓子の原料になっています。しかし、現在市販されている”クズデンプン”、”クズ粉”は、ほとんど”ジャガイモデンプン”であると言われます。
また、一般にデンプンを”カタクリ粉”と呼んでいる地方もありますが、カタクリ粉は、野生のカタクリの根(ラッキョウ形した球根)から取り出したデンプンで、これも市販品はほとんどありません。
 しかし、一般にはこの3品を混同して適当な名前で呼んでいるのが現状のようです。

 生薬の葛根(クズネ)の産地は、大阪、三重、奈良、富山、福岡、熊本などで、葛粉(クズコ) は、奈良、京都、福井、高知、福岡などが良質品の特産地です。

 ところで、桐生地方にも普通に自生し、山地の開墾畑の端や土手際によく繁り、時には厄介者扱いされます。直根は深く、つる状の茎は地面を這って伸びます。伸びた葉の所から新根を細く出して地面に潜らせ、短期間で根を肥大させます。
 桐生のクズも特産地のクズも同じものですが、桐生のクズは生育する地域が異なっただけでいつも厄介者扱いを受けます。人間社会と同じように、クズにも宿命を感じていた仕方ない思いが募ります。
 けれども、この桐生のクズも大変役に立ったことがあります。おぼろげに幼い頃を回想して当時のことを書いてみましょう。

 私が小学校に入学して間もなく第2次世界大戦がしだいに激化し、私の家に東京から戦火で焼け出された親戚の一家6人が疎開して来ました。当時生活物資はほとんどなく、食事は大きな2升炊きの鉄釜に大根を3分の1くらい(1本を3回に分けて食べる)と、太めのサツマイモ(時にはトコイモ=サツマイモの苗を取った後のイモ)1本を細かく切って入れ、それにコウリャン、最後に1升ビンで搗いたお米を茶飲み茶碗で1杯ずつ計って入れ、釜に目いっぱい水瓶から柄杓で水を入れて炊き上げたものでした。これをうちの家族7人と東京の家族6人の13人で食べました。お米とコウリャンはいつも茶碗1杯ずつで、そのほかの葉ものやイモは時々変わりました。たまに、お米やコウリャンが小麦粉やサツマイモの粉で作ったダンゴに変わることもありました。

タバコ巻き機 そんな中である日、東京のおじさんが、私に「クズの葉とタマンバラ(サルトリイバラ)の葉を摘んで来るように」と言います。早速、山に取りに行きます。その場所は普段の遊び場ですので、たちまち沢山取れ持って帰ります。
 おじさんはタバコを作っている手を止め、すぐに持って帰ってきた葉を細かく切り刻んでグチャグチャに混ぜ合わせて、蒸気で蒸したあと素早く干します。そしてまた、タバコ巻きに移ります。
 私の取ってきた2品の葉は、当時の手作りタバコの原料でした。

 毎日々々おじさんは沢山タバコを巻きます。3〜4日すると、ミカン箱くらいのブリキでできた入れ物にいっぱいに貯ります。すると、次はそのタバコの両端を切ります。出来上がったタバコは紙を細く切ったテープ状の帯で10本づつ束ねられ、そして、ボール紙で作った箱に200束ずつ入れられます。この箱を10個くらい風呂敷に包んで、朝一番の列車で桐生から東京に売りに行きます。帰りには仲間が拾い集めた”吸いがら”を買って来ると言います。
 戻って来ると、おじさんのいつも持っている二つ折りの大きな財布はふっくらと膨らみ長い紐で巻いてあります。その財布を逆さにして中身を放り出すと、古新聞紙の包み4〜5個とお札(お金)がゴソッと沢山出て散らばります。「おじさんはすげーなー!」と、幼心で感動したことが今でも目に浮かびます。お金の半分くらいを笑顔で私の母に渡します。私にも「ほら、報償(ほうび)だ。」と言って小遣いをくれます。そしていつも私の頭に大きな手をのせて、振るように撫でながら「また良い葉を沢山取って来いよ。」と言うおじさんでした。翌日母は、また農家に買い出しに行きます。

 70歳を越えた今でも土手のクズを見かけると、ふと、幼い頃の葉摘みのことが思い浮かびます。

 今日、これを書いても当時の生活が理解できる若者が何人いるでしょうか。 育て上げた自分の倅ですら、当時の昔話をすると、目をキョトンとさせて聞き入るのが現状ですが、過ぎ去った生活実態は懐かしい思い出として、二度と戦争の世の来ないことを願いつつ。自然の恵みと共に... 。