カキドウシ Glechoma hederacea(シソ科 カキドウシ属) 桐生地方では、あちらこちらでごく普通に見ることができます。繁殖力の旺盛なカキドウシは、4〜5月頃、庭先の竹垣を回した土手にびっしりと繁り、垣根の下一面にはいながら生えます。本当に”垣通し”の名の由来を感じさせます。 昔から民間薬に利用されてきた薬草で、薬草ガイドブックには方言として”カントリソウ”と書かれていますが、由来は”癇取り草”で、昔、子供のひきつけや怒り易い性格などを癇の虫にさわったとか癇の虫がおきたなどと言っていたことから名前が付けられたといいます。しかし、私たちは母からよく、「お前はこの薬草で育ったのだ。」と何度も聞かされました。母が「コソダテソウ(子育て草)」と呼んでいたので、私も”コソダテソウ”と言っていました。 子供の頃...一番繁る7〜8月頃に、狭い軒先に「油紙」を敷いて、その上に刈り取ったカキドウシの根元を小束に紐で結んで、先端を扇のように広げ並べて干します。2〜3日、半乾きにした小束は、さらに一束ずつ油紙で花束のようにラッパ状に包んで、根元を上にして軒下の物干し竹にノレンのようにいくつも吊り下げて乾燥させます。それは、夏の強い陽射しの日除けにもなっていました。 「油紙」は”渋紙”ともいわれ、和紙に柿渋を塗って乾かし、その上にさらに植物油を塗った紙で、その頃は家庭の必需品だったように覚えています。 学校から帰るとすぐに、七輪(土で造ったコンロ)に消炭(焚火をした時に燃えてできたおきを瞬時に消して作る)をおこし、油紙に入れておいた薬草を小さな手でひとつかみ取り出して土瓶に入れ、水瓶から水を柄杓で汲んで注いで煎じます。この仕事は私の日課でしたが、小学校に入る前からしていたようにも思われます。煎じ上がると母に告げます。母は煎汁を小さな茶碗に注いで、素早くさまして3人の妹に飲ませます。その時、いつも「この薬を飲んでいると夜よく眠れて病気をしない丈夫な子供になるのだよ。」と言います。 生活基本が著しく進化した今日では、当時のことを話しても説明を加えなければ理解できない世代が多くなって、文化の偉大さを実感する中でふと過去の価値のある尊い事柄までが徐々に失われてゆくように感じます。今、事象の本質をもう一度考察したいと願う者は私だけでしょうか。 カキドウシ → カントリソウ → コソダテソウ の追憶です。 |
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